かつてナポレオン・ヒルは、偉大な多くの成功者たちにインタビューすることで、成功哲学を築き、世の中に広められました。私Johnも、経営者やイノベーター支援者などとの対談を通じて、ビジョンや戦略、成功だけではなく、失敗から再チャレンジに挑んだマインドを聞き出し、「イノベーション哲学」を体系化し、皆さまのお役に立ちたいと思います。

第4回に登場していただきましたのは、IT関連のカンファレンスやイベントなどのプロデューサーとして国内外で幅広く活躍されている著名人、起業家でもある株式会社ウィズグループ(Wiz.Group)代表取締役、奥田浩美氏(以下インタビューでは「奥田」)です。前後編に分けてお送りします。今回は前編です。

1 「その人がやりたいことであれば、働く『べき』とも思わないし、仕える『べき』とも思いません。『べき』が一切ない感じです」(奥田)

John

今回の対談は、株式会社Wiz.Groupの奥田浩美さんが登場してくださいました! インタビューの中では、「浩美さん」と呼ばせていただきます。浩美さんは、日本中、そして世界各地でも活躍されており、多くのメディアでもお話されていらっしゃいます。たくさんの方がご存知だと思います。

浩美さん、本日は大変お忙しいところ、本当に愛りがとう(愛+ありがとう)ございます! よろしくお願いいたします。さっそくですが、浩美さんは以前、インドに留学される前は、何をされていたのでしょうか?

奥田

鹿児島の(大学の)教育学部の学生で、障害児教育の1種免許を持って、学校の先生になろうとしていました。

John

小学校の先生を目指していらっしゃったのですか?

奥田

はい、障害児教育をしている小学校か養護学校です。試験もパスして、あと数カ月したら学校の先生だというところでした(笑)。親も教員でしたので。私の世代ですと、女性が管理職まで行けるのは、学校の先生か、市役所くらいだったのです。ただ、市役所も、「平等には入れても、上までは行けない」という感じでした。

John

その頃、その若さで、上まで行こうと思われたのは、何か理由があったのでしょうか?

奥田

私自身は、全く上昇志向があったわけではありませんでした。ただ、父は私にリーダーシップがあると思っていたようで、子供の頃から「浩美は皆と違うから」とずっと言われて育ちました(笑)。

John

そうなのですね(笑)。お父さまは、校長先生だったのでしょうか?

奥田

そうです。父がインドの日本人学校の校長をしていましたので、インドに縁がありました。

John

お父さまは、なぜインドとご縁があったのですか?

奥田

インドに縁があったというよりは、父は、とにかく他の人が行きたがらないところに行く人でした。例えば、父は、鹿児島の中でも、ずっと赴任希望地を白紙で出していました。そうすると、何が起きるかというと、皆が行かないような、全校生徒20人など島の中でも一番小さな学校に赴任することになったりするのです。

John

面白いですね! 浩美さんのご実家はどちらだったのでしょうか?

奥田

実家は、宮崎県と鹿児島県の県境にある、今は曽於市になっているところです。そこから、曽於市と大隅半島、屋久島、阿久根市という天草の方に近いところに父が赴任しました。高校がない地域を転々とするので、(私が)中学校3年の時に、父から「もうお前たち専用の家を建ててあるから。妹と2人で住むように」と言われました。その家は、鹿児島市内の、いわゆる地方の一番いい学校2つの間に建ててあったのです。

John

お母さまはどうされていたのですか?

奥田

父を支えていました。今は時代がどんどん10年ごとに変わっていますが、私の両親の時代は、母が「旦那さんを支える」という時代でした。父も、奥さんに支えてもらって一人前の仕事ができるというような。つまり、今言ってしまうと、たった1つの仕事を(夫婦)2人で支えなければならないような、ある意味とても変わった社会だったわけです。転勤が多いような、他の仕事もそうだったかもしれませんよね。たった1人分の仕事を、奥さんまで含めた家族ぐるみで支える。要は、家族ぐるみで日本を支える。そうした不思議な社会の時代です。

John

浩美さんは、そうしたご家族、時代、社会をどのように感じていましたか?

奥田

母は、そうした価値観で育っていますから、とても幸せに感じていたと思います。私も、小中学校まではそれが当たり前だと思っていました。

ただ、父は、母に対してはそれで幸せだと思っていたと思いますが、彼も時代を見ているので、私の時代はそれが幸せではないかもしれないと考えていたと思います。ただし、必ずしも女性全員が仕事を目指すべきと考えていたわけでもないと思います。私自身も、その人がやりたいことであれば、働く「べき」とも思わないし、(家族に)仕える「べき」とも思いません。「べき」が一切ない感じです。

John

とてもよく分かります! ただ、当時はそうしたお考えは珍しかったのではないですか?

奥田

珍しいですよね。私は生まれてから多分この性格だったと思うのですが、父は、(この社会に)私が生まれるのがちょっと早いぐらいに思っていたのではないでしょうか。

John

なるほど~!

そして、浩美さんはインドに行かれるわけですが、動画やメディアなどに載っていない部分で、インドを目指した気持ちといいますか、そうしたものをお聞かせいただけますか?

奥田

本などに書いていない部分で言いますと、その時代に、(インドが)一番変化の幅が大きそうな気がしたのです。もちろん、父がインドにご縁があったということもありましたが、父に連れて行かれたわけでもありません。

さらに言うと、親からは大反対されましたので、インドに行くという理由は一切ありませんでした。逆に、「3カ月ぐらい大喧嘩をした」と本に書いてある通りで、遠距離電話代で20万円くらい使っていました(笑)。日本から親に何度も電話をかけて、「(インド行きを)認めてくれ」と大喧嘩していました。

John

それはすごい話ですね~! そして、(インドで)ご家族と一緒に住むことになるのですか?

奥田

最初は親がインドにいましたので、一緒に住みましたが、後半は、下宿をしました。下宿をした先は、ゾロアスター教(ペルシャ起源の宗教)の方の家です。まさに、ボヘミアン・ラプソディに出てくるフレディの実家のような「いい行いをしなさい」という厳しいお宅でした。「いいことをする」ということを、心底思っている人たちに囲まれて暮らしていたのです。

John

素晴らしい体験ですね!

奥田氏との対談の様子を示した画像です

2 「『生身の私』が仕事をするのではなく、私がやっているさまざまなことの、10やったうちの9が失敗でも、1残ったものの残像で仕事ができるようにしたい」(奥田)

John

話は変わりますが、今、浩美さんの会社では、地方都市で従業員の方を雇われていますよね。従業員の方やお客さまと、遠距離において、どのようにコミュニケーションを取っておられるのですか?

奥田

私は、実は月に一度ぐらいしか会社に行きません。Wiz.Groupの本社も自宅から近くにありますが、それでも行かないのです。Slackを使うなどして、とにかくITの進化と共に仕事のやり方を変えてきています。

私は2000年に子供を産んだのですが、その時に、場所に縛られると子育てもできないし自分のやりたいこともできないので、場所にとらわれないようにしたいと思いました。「生身の私」が仕事をするのではなく、私がやっているさまざまなことの、10やったうちの9が失敗でも、1残ったものの残像で仕事ができるようにしたいと。ですので、今、(会社の)皆が動いている部分は、私がすでに自分の身をもって3年前か、10年前か30年前にやったこと。それだけを会社に残していっているようなイメージです。

John

すごいことですね! さらっとおっしゃっていますが、それはすごいことだと思います。

奥田

私はかなり動かないといけないので、会社に行っている時間がないのです。思った場所に飛んで行きます。例えば去年、おととしは2カ月に一度シリコンバレーへ行き、人と一緒に、あるプログラムをつくりました。そのプログラムは試行錯誤してつくり、2年間みっちりとやりました。

今は、それ(プログラム)が人に渡せるものなのかどうか、減らすといいますか、削っているところです。私は、自分がつくったことが10あったら、10(全部)は渡せないと思っています。人に渡せるものはうまくいって1割、うまくいかなければ3%くらいかもしれません。ですので、私自身が飛び回ります。

John

それでは、ご主人やご家族、従業員の方とは、ツールを使って接するということですか?

奥田

そうですね。夫ともSlackとmessengerとLINEです。Slackは基本的に会社の業務関連で、messengerは割とフリーな感じです。LINEは私と娘と夫という感じでしょうか。

John

私も同じです。家族とのやりとりはLINEになりますよね。エモーショナルな部分、気持ちを伝えるにはLINEのスタンプが良いのかもしれませんね。

奥田

気持ちを伝えるには、確かにスタンプが良いと思います。そこにもっとかなり深い部分がある気がします。LINEでグループをつくると、ある意味、そこには「お茶の間のログ」ができているのです。

例えば、人は、心にとても苦しいものを抱えている時、一番ひどい時は、(LINEグループに)何も書き込まない。少し回復したとして、でも「苦しいよ」という言葉にすることはまだできないので、何かしらスタンプを送ってくる。人間の感情を考えると、結構回復した状態でなければ、メッセージ(言葉)にはできません。このように、LINEだと、その人の状態がある程度分かるのではないかと思います。

一方、電話では、なかなかそれが難しいのです。電話で「どう?」と尋ねると、ある程度の年齢の人は、「大丈夫」と言いますが、そう言う時は、だいたい大丈夫じゃない。声にしても、文字にしてもかもしれませんが、「大丈夫か」と尋ねて「大丈夫」と返ってくる時は、半分くらいは大丈夫ではないと思います。でも、スタンプであれば、何かしら感情を表すスタンプを返せます。

John

確かに、電話だと、本当に伝えたいことは言えない場合もありますよね。

奥田

そうですよね。とはいえ、「声は聞きたい」という気持ちも、やはりあると思うので、コミュニケーションのツールはたくさん持っておいたほうがいいなと感じています。

また、電話はなかなか同時に多数で通話できませんが、LINEのいいところはグループができるところです。例えば、親族でLINEグループをつくって孫もグループに入れておいて、全く登場しなくても、「そのグループにいる」ということが大切です。

私は、お茶の間の面白いところだなと思っているのですが、50年前の地方などでは、家の中に3世代か4世代いるのが当たり前でした。祖父母からすれば、ずっとお茶の間に黙って座っているだけでも、親子や家族が会話しているのが見えているという環境だったのです。その「見えている」という環境をどうつくるかを考えた時に、LINEグループが良いのではないかと思います。

LINEグループで、月に一度くらい孫が出てくると、祖父母はもうそれだけでうれしいものです。孫は、祖父母と共通の会話はあまりないので、直接「おじいちゃん、おばあちゃん元気?」とは書きません。

ただ孫同士が、LINEグループの中で「今度、夏祭りに浴衣着ていくから貸して」といった会話をしているわけです。祖父母からすれば、「大丈夫か」「元気か」と正面から向かって来られるよりも、孫たちのこうした会話を見ることが一番の幸せなのだそうです。対峙されることが一番幸せなわけではなく、「正月などに親戚など皆が集まってきて、周りでざわざわしている」という状況が、人間の一番幸せなことなのかもしれません。

John

本当によく分かります! 浩美さんにお聞きしたかったのは、まさしくこうした人間的な部分です。

3 「働き方改革なんて、私にとってはもう、過去なので」(奥田)

John

浩美さんは、文系理系関係ないご出身なわけですよね。私もそうです。今後の社会も、エンジニアや開発している人だけがすごいというわけではなく、使う側が世の中のテクノロジーを生活にどう使うかで、家族も会社もより豊かにできると思います。浩美さんはそういった部分で、非常に新しいことを考え、先を行かれていらっしゃいます。「未来から来ました」という浩美さんの言葉がありますが、あの言葉に込められた意味は、どういうものなのでしょうか?

奥田

「未来から来ました」というのは、明らかに私が、2050年から来ているわけではないのは分かりますよね。けれど、未来は「まだら」だと何人もの人が言っているように、女性の働き方だと、私はもう20年前、30年前に自分で実現していることが、世の中では未だに、「女性の活躍」とか「改革」とかやっているわけです。働き方も、私は20日に1回くらいしか社員に会わないのに、私の思いが全部浸透して、向こうは向こうで回っているという感じです。

働き方改革なんて、私にとってはもう、過去なので。働き方改革で私に講演させるとしたら、本当は20年前が1番ちょうど良かったのです(笑)。あの20年前の私に講演をさせてくれたら、かなりいい講演ができたのに、今(講演で)呼ばれても、通り過ぎてしまって熱意がない(笑)。

John

本当にすごいですね(笑)。名言がたくさん出てきました!

20年前のその当時、一番訴えたかったことはどのようなことでしたか? そして、今また日本を変えるために訴えなければならないこと、日本を変えるために必要なキーワードはどのようなものですか?

奥田

キーワードはやはり、会社や社会を中心に全ての制度が作られているので、「結婚も含めて、いったん、自分だけの世界の幸せみたいなものを考える必要がある」ということだと思います。先ほどの話のように、社会が発展するために、会社のために、お父さんもお母さんも、子供も含めて、一致団結して会社に貢献しなければならないということを、わずか40年前に、皆、当たり前のように思っていましたよね。

しかし、今は、会社がここにあるとすると、「会社を幸せにすることの、その先に本当に(あなたの)幸せがありますか?」ということを考える。この対峙の仕方で、全てを疑っていかなければならない。私の会社もそうしているのですが、究極は、「その人が一生何をしたいか」ということで、仕事を全部用意してあげているつもりでいます。基本は、雇うからには私が(従業員の)パトロンのつもりです。

John

分かります。アーティストを育成しているような感覚ですよね。

奥田

そうです。これ(写真を下記に掲載しています)も、従業員の作品で、その従業員は20年前からアート活動をしています。彼は桜の作品を毎年撮るので、桜の時期は、東京からずっと北上していくわけです。(彼は)会社に来るより、それがやりたいのです。週末を含めてたった5日間を写真を撮るために休むとすると、なぜその5日間を有給のような制度を使わなければならないのか。「そんなのいいから」となります。「その人はその時期に北上するアーティストであり、その感性があるから、うち(の会社)で働けるのだよね」というように、一人ひとりの背景を考えます。

例えば、もう1人は、「自分はゲームクリエーターですが、ゲームクリエーターだと年収がこれぐらいしかないのです」ということが分かったら、「じゃあ、その5倍くらいはうち(の会社)で稼いで」ということになります。こうして、「一番やりたいことがそこなら、それでいいじゃない」ということでやっていくと、だいたい12人ぐらいまでが、「本当に応援したい人」になります。12人を超えると、自力で独立してほしいなぁと思います(笑)。「パトロンできる人数」はそれくらいかなと思っています。

奥田氏との対談の様子を示した画像です

John

そうなのですね。従業員の方の作品、素晴らしいです! 実際に、浩美さんの会社の人数はどれくらいなのですか?

奥田

今は12人です。どんどん独立させていくので、(従業員が)自分の仕事として持って行けるようになります。今まで、うちの従業員は女性が多いので、女性の場合、会社がなくなったら終わりとなってしまうより、その人が一生食べていけるようなスキルを身に付けさせるほうがいいのです。そうなると、最初は個人事業主か、その先が経営者かという形を目指していましたので。これから先は、皆がそうした形になると思うので、あえてそこまでしなくてもいいのかなとも思います。

John

それはとても面白いですね。その中からスタートアップのような方も出たりするのでしょうか?

奥田

スタートアップというよりは、今までは受託系が多いです。もちろんスタートアップもいます。スタートアップの場合、うち(の会社)で従業員として雇うというよりは、今、何人かに投資しています。

4 「Wiz.Groupは、『個』が魔法使いで、魔法使いが集まってるグループという意味」(奥田)

John

「Wiz.Group(ウィズグループ)」という会社名は、どういった意味で付けたのでしょうか?

奥田

Wiz(ウィズ)は、「誰かと一緒に」ということではなくて、ウィザード(wizard)。基本は魔法使いです。今までなかったものをパッとつくり出したり、今まで、例えば10年かかっていたことを短縮したりといったことです。あるいは、他では時間のかかるようなことも、魔法使いのように、書類にしてもササッとつくってあげられる。そうした思いを持って、ウィザードのグループと名付けました。会社としてのグループ企業ではなく、「個」なのです。「個」が魔法使いで、魔法使いが集まっているグループという意味です。

John

面白いですね! そうした発想はどのようにしてお考えになったのですか?

奥田

私、「オズの魔法使い」が大好きだったのです。「Wiz of OZ」。なぜかといいますと、一見、何の才能もなさそうだったり、一見、ダメそう(に見えたりする)な人の中にも、とてもキラキラしたものがあって、ダメなものをよくするのではなく、「そもそも、ダメと思われているのは周りの人が悪いわけで、ダメではないよ」というように考えています。私の周りには、そういう方が、多分数百人はいると思います。英語では「gifted(ギフテッド)」といったりしますよね。すごい才能だから。

John

そういうことなのですか。私、実はラップをやっていまして、ラッパー名を「Gifted」といいます。なぜそのラッパー名にしたかというと、日本にギフテッドという言葉を広めたいからなのです。(曲を)出してみたら、おかげさまでAmazonで三度ほど、全国1位になりました。

奥田

私が今、出資している先のギフテッドの女性は、アメリカの医師免許を取得しています。医学部を出て(日本に)帰ってきたら、英語を忘れてしまって全然しゃべれないのですが、医師免許は持っている(笑)。

分かる気がしますよね。(免許を)取らなければならない時は、たぶん頭にスーッと入ってくるのだと思います。

John

どのようにして、そういう方と出会われたのでしょうか?

奥田

イベント受付のボランティアに来てくれたりします。

John

そうなのですね。浩美さんのイベントには、良い意味で尖った方が行きたくなるのでしょうね。

奥田

おそらくそうだと思います。私の周りには、とても多いです。

John

イベントといえば、20年前、どのようにして海外からのイベント運営をされていたのでしょうか?

奥田

私がインドから帰ってきたのが1989年の6月でした。当時、アルバイトか何か、仕事をしなければという状況で、国際会議を運営する会社に入りました。当初、そこには、あまり長くいるつもりはなかったのですが、たまたま、あてられた会議が技術系の会議だったのです。当時、ITやインターネットは、貧困格差をなくして人々を平等にする、情報格差をなくして世の中を幸せにするということを、多くの人が基調講演などで言っている時代でした。彼らは「世界を変える」と言っていたのです。

私は、マザー・テレサ氏のところでフィールドワークをしていましたので、「一人ひとりを救うなんて、私には一生かかってもできない。私には何もできないんだ」と思っていたような時に、「(ITで)世界を変える」という人たちに出会ったわけです。ですので、「これは本当にすごい世界が来るのではないか!?」と思いました。

John

「世界を変える」というような言葉は、直接お聞きになったのですか?

奥田

直接聞いたのはもう少し後でした。ビル・ゲイツ氏やスティーブ・ジョブズ氏が来日したのは、1992年~1993年からくらいです。

John

そうした方々のイベント運営もお手伝いされていたのですか?

奥田

そうです。私はIDG(IT分野に特化したメディア、イベント企画企業)やZiff Davis(ネット関連のコンテンツ企業)の事務局をしていましたので。最初にビル・ゲイツ氏が来た時のアテンドもやらせていただきました。

John

そうした、IT関連の大実業家など世界のトップリーダーと対面されたり、お仕事されたりする時に、技術的な内容が分からない時もあると思います。浩美さんがそうした方々とお話される上で、大切にされたりしているものは、何かありますか? そうした方々のお話から、何を掴みとろうとして聞いているのでしょうか?

奥田

「人間」と「人間」だと思っています。私が社会に出たのが25歳で、カンファレンスのお仕事で出会ったアメリカの人たちは35歳くらいでしょうか。出会えて良かったと思うのは、ステージの上で、「世界を変える」というようなことを言う人々が、実はそのステージに出る10秒前くらいは、割と舞台裏で震えていたり、とても緊張して人にあたったりするのを目の当たりにしたことかもしれません。

以前、映画で、スティーブ・ジョブズ氏のカンファレンスにフォーカスしたものがありましたが、カンファレンスの舞台裏は、本当にあの映画くらいピリピリしています。そうした姿を見ていましたので、人間は全てがパーフェクトではない、しかし、ステージで言っていることはつくっている嘘ではなくて、両方その人だということがよく分かりました。多少調子の良くないところがあっても、それもその人だし、「なんか人間っていいな」ととても思ったのです。すごい方々のそうした姿を若い頃に見ましたので、「人間は皆一緒だよ」と言いながらも、結局、幅がとても広いということも学びました。

5 「一人ひとりがその時に幸せかどうか、ということだけにフォーカスすればいい」(奥田)

John

私は、「いい人」と「賢い人」と「広げる人」は、別ではないかと思っています。浩美さんは、世界をつくっている方々をたくさん見ていらっしゃると思いますが、そうした方々のつくった世界で、結局、幸せになっている人は増えているのでしょうか。失礼な言い方かもしれないのですが、ITで何か薄れていったもの、なくしたものは、ないのでしょうか。世界はITで大きくなりましたが、日本については、「失われた30年」という言い方をする人もいるかと思います。

奥田

日本人は、昭和30年代のようなところを見て、「ダメになった、ダメになった」と言っていますが、本当にダメになっているのか、私はもう分からないと思っています。時代は常に動いているので、その時点その時点で勝者を決めるのは、もう意味がないと。ですので、今、アメリカに勝っている、負けていると言ってもあまり意味がないかもしれません。私も、日本は、この後10年くらいはアメリカには絶対勝てないと思っていますが、100年後や、もっと言うと1000年先を考えたら、今勝っている負けているを言っても「つまらないことだな」と考えたりします。

では、その次に何を思うかといえば、要は、(その時代に)生きてきた一人ひとりがその時に幸せかどうか、ということだけにフォーカスすればいいと思っています。それは、「皆が自分本位で自分のことだけ考えればいいのか」ということではありません。自分が、「これがいい」と思った一部のものを、他の人にシェアしていけばいいと思っています。シェアするもののうち、「他の人もたくさん幸せにできるような節目」がイノベーションではないでしょうか。そういうことに対して、全員が本当は努力をすべきだと思っています。だからこそ、「自分だけが幸せで自分だけで終わった」という人が1億人いたら、本当はみんながイノベーションを起こす必要はないのですよ。1億人がきちんと幸せなのですから。

John

いつからそうしたお考えなのですか? また、そうしたお考えになったきっかけはあるのでしょうか?

奥田

これが強固になったのはここ10年くらいだと思います。明らかなきっかけは、1つ目は、娘を産んでからです。2つ目は、これはいいと思っていた事業が、リーマンショックで全部なくなった時。3つ目は東日本大震災だと思います。特に娘を産んだことは大きかったのではないでしょうか。

John

そうなのですね。

アメリカのIT長者の方々は確かに世界を変えていますが、良い方向に変えていると思いますか? 「良い」ということについてフォーカスしている方があまりにも少ないように感じています。

奥田

(彼らは)良いと考えていたと思いますよ。最初は、「皆を幸せにしたい」という1つのことを思っていたのですが、巨大になっていけばいくほど、従業員が増えれば増えるほど、「この人たちを雇って食べさせていかなければならない」と思ったり、株式の資本ということになれば、株主にしっかり還元しなければならないという、ある意味「余計なこと」が多くなってしまいますよね。「行きたい先」よりも、そこに向かう途中で、「結果を出す」ということにフォーカスしがちな気がします。

それと、やはり、たくさんの起業家を見てきて、感じることがあります。自分の思いと時代がクロスして、自分の中に持っている「こういう社会がいいな」というものや、その人の背景が活きてくる時があります。いろいろな時代がありますが、たまたまその時代に、例えば「人とのつながりが欲しい」という時代がクロスすると、それに関する事業がポンと跳ねるわけですよね。それが、早すぎても難しいと思います。

時代の中のわずか数年で、「どこにクロスさせるか」というのが大きいのではないでしょうか。例えば、フェイスブックで考えると、登場してから10年くらいして、自己承認欲求の形が変わってきています。たくさんの人に「私を知って知って」というと余計なものも来るので、そのような欲求ではなくなっていますよね。今の私の欲求は、「もう追いかけられたい」のです。「私は、どこに潜んでいるか分からないけど、私を訪ねてきて(笑)」というのが、私がここ数年やりたいことです。ですので、日本にいないですし、表に出ません。私を訪ねてくれて、「こういうことをやりたいから、こういうようなことをしてほしい」と、わざわざ向こうから訪ねてアクションをしてくる人と「クロスしたい」と思うのです。

しかし、そうした気持ちは突然出てくるものではなくて、私も10年くらい前には、「とにかくたくさんの人に会って、たくさんの情報を得て」という考えでした。ですので、よく、時代は「行動しろ、行動しろ」と言いますが、行動だけしている時代は、私にはもう終わっています。(私は、今は)行動してはいけないのですよ。行動すると、余計な「やらなければならないこと」が増えてしまいますから。30年間、こうした仕事をしてくると、誰かと話をすると、「私は何かできますよ」と、全部握手できてしまうのです(笑)。何かの役には立つから全部握手できてしまって、握手はしたけど、「これ、私でなければならないのでしたっけ」というようなことが起きてしまいます。そういうことがあるので、今は潜んでいる時期だと思っています。

奥田氏との対談の様子を示した画像です

  • 奥田氏との対談はまだまだ続きます。
    この続きは「後編」をご確認ください!

以上

※上記内容は、本文中に特別な断りがない限り、2019年8月30日時点のものであり、将来変更される可能性があります。

※上記内容は、株式会社日本情報マートまたは執筆者が作成したものであり、りそな銀行の見解を示しているものではございません。上記内容に関するお問い合わせなどは、お手数ですが下記の電子メールアドレスあてにご連絡をお願いいたします。

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提供
●奥田浩美(おくだ ひろみ)/株式会社ウィズグループ 代表取締役 ●森若幸次郎 / John Kojiro Moriwaka
●奥田浩美(おくだ ひろみ)/株式会社ウィズグループ 代表取締役
インド国立ボンベイ大学 大学院社会福祉課程修了。1991年にIT特化のカンファレンス事業を起業し、数多くのITプライベートショーの日本進出を支える。 2001年に株式会社ウィズグループを設立。2008年よりスタートアップと呼ばれるITベンチャーの育成支援に乗り出し、スタートアップのエコシステムビルダーとしての活動を開始。2013年には過疎地に「株式会社たからのやま」を創業し、地域の社会課題に対しITで何ができるかを検証する事業を開始。地域と海外を繋ぎ、新しい事業を生み出す活動も行っている。
委員:情報処理推進機構(IPA)「IT人材白書」検討委員、「未踏IT人材発掘・育成事業」審査委員、経済産業省 Jスタートアップ推薦委員、厚生労働省「医療系ベンチャー振興推進会議」委員・「ヘルスケア・ベンチャーサミット」プログラム委員等。
著書:会社を辞めないという選択(日経BP社)、人生は見切り発車でうまくいく(総合法令出版)、ワクワクすることだけ、やればいい!(PHP出版)

●森若幸次郎 / John Kojiro Moriwaka
イノベーションプロバイダー、ファミリービジネス二代目経営者、起業家、講演家、コラムニスト
山口県下関市生まれ。19歳から7年半単身オーストラリア在住後、家業の医療・福祉・介護イノベーションを目指す株式会社モリワカの専務取締役に就任。その後、ハーバードビジネススクールにてリーダーシップとイノベーションを学ぶ。約6年間シリコンバレーと日本を行き来し、株式会社シリコンバレーベンチャーズを創業。近年はNextシリコンバレー(イスラエル、インド、フランスなど)のエコシステムのキープレーヤーとのパートナーシップと英語での高い交渉力を活かし、スタートアップ支援やマッチングを行う。「日本各地でのイノベーション・エコシステムの構築方法」や「どのように海外スタートアップと協業しオープンイノベーションを起こすか」を大企業、銀行、大学などで講演、病院ではリーダーシップセミナーを行う。国内外アクセラレーター支援、スタートアップイベント運営、ピッチ指導(英語・日本語)等も行う。
株式会社シリコンバレーベンチャーズ代表取締役社長 (兼) CEO
株式会社モリワカ専務取締役(兼)CIO
情報経営イノベーション専門職大学 客員教授
MIB Myanmar Institute of Business 客員教授
Startup GRIND Fukuoka ディレクター

著書「ハーバードのエリートは、なぜプレッシャーに強いのか?」

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