企業の成長を応援する情報メディア りそなCollaborare

Copyright (c) Resona Bank, Limited All Rights Reserved.

社長として成長する

第13回 【前編】QBキャピタル合同会社(QB Capital,LLC)代表パートナー 本藤孝氏/森若幸次郎(John Kojiro Moriwaka)氏によるイノベーションフィロソフィー

日本情報マート

2020.07.29

かつてナポレオン・ヒルは、偉大な多くの成功者たちにインタビューすることで、成功哲学を築き、世の中に広められました。私Johnも、経営者やイノベーター支援者などとの対談を通じて、ビジョンや戦略、成功だけではなく、失敗から再チャレンジに挑んだマインドを聞き出し、「イノベーション哲学」を体系化し、皆さまのお役に立ちたいと思います。

第13回に登場していただきましたのは、「人と大学発の技術を掛け合わせ、大学の『知』を活用した地域発イノベーションを創出する」をコンセプトに、大学発ベンチャーをプロジェクト段階から事業化支援するQBキャピタルの代表パートナー、本藤 孝氏(以下インタビューでは「本藤」)です。

前後編に分けてお送りします。今回は前編として、本藤氏の学生時代から、QBキャピタル設立前までのキャリアを伺いました。

1 「とにかく英語を吸収することに必死で、1時間授業を受けると1時間昼寝が必要になるほど疲れました」(本藤)

John

本日は、大変お忙しいところを本当に愛りがとう(愛+ありがとう)ございます! インタビューの中では、「孝さん」と呼ばせていただきますね。

早速ですが、学生時代からさかのぼってお話を聞かせてください。
孝さんは米国のイースタンミシガン大学をご卒業されていますが、なぜ米国の中でもあえてミシガン州を選ばれたのでしょうか?

本藤

米国留学を志したのは、子どもの頃から「いつか起業したい」と思っていたからです。

当時日本では、商法の最低資本金規制というルールがあって、1,000万円ないと株式会社を立ち上げられなかったのです。そして、大卒の初任給は、年収ベースで300〜400万円が一般的という時代。

「日本にいたら、起業するには最低4年以上はかかってしまう」と高校生ながらに考えていました。

そんな時に、知人から「アメリカなら1ドルから起業できる」という話を聞いて「じゃあ、アメリカに行くしかない!」と留学を決めました。

ミシガン州を選んだ理由は、遠い親戚がミシガンに住んでいて、何かあったら頼れるかなと思ったから。結局、頼ることはありませんでしたけどね。

John

孝さん、流石ですね!高校生の頃から、会社の設立費について考えていたなんて驚きました。
英語力などで不安な点はありましたか?
また、ご家族や周囲の方の反応はいかがでしたか?

本藤

僕の家族も親戚も愛知県で生まれ育っていて、留学をしている人はいなかったので、驚かれましたね。でも、母は賛成してくれました。

英語は……正直、留学するまではまったくと言っていいほど、話せませんでした。初めの頃は、お店で料理を注文するのも一苦労で。

ファーストフード店で「テリヤキバーガー」が日本限定だと知らずに頼んで店員に変な顔をされたり、ドリンクを何度言い直しても通じず、頼んでいないコーラが出てきたり(笑)。

大学内にあるESL(English as a Second Launguage)で英語を学びつつ、初めのうちは英語がわからなくても解ける数学や化学といった授業を選ぶようにしていました。

とにかく英語を吸収することに必死で、1時間授業を受けると1時間昼寝が必要になるほど疲れました。

John

テリヤキバーガーの話、面白いです。 飲食店で自分の欲しいものを英語で頼むことも、最初は本当に難しいですよね。私も19歳でオーストラリアに留学したばかりの時は、英語の発音するのに自信がなく、指をさして「This one please」とか言ってました(笑)。
孝さんは、どのように英語を上達されましたか?

本藤

勉強で役立ったのは、テレビドラマでした。

難しい単語が少なく、ストーリーがわかりやすかったので、「特攻野郎Aチーム」というアクションドラマをよく見ていました。発音には苦戦しましたが、1人でシャワーを浴びながら練習したりしていましたよ。

台湾人の学生たちとよく遊んでいたので、それも練習になったかもしれませんね。

John

当時、日本人やアジア系の留学生は多かったのですか?

本藤

日本人は、結構いましたね。というのも、ミシガンは自動車で栄えた都市なのです。
僕が最初の1年間ルームシェアをしていたのも、日本人の1つ上の先輩でした。

日本の自動車メーカーも進出してきていたので、駐在員の子どもたちなどが大きくなり、現地の大学に通っていることも多かった。

それでも学生が2万人いるうちのアジア人は200人くらいなので、少数派ではあったかなと思います。

2 「経験してよかったと思うのは、外国人と英語でディベートを重ねてきたこと」(本藤)

John

今も役立っている学生時代の学びは何でしょうか?

本藤

MBAが少し早く取得できたことは、その後のキャリアで役立っていますね。
また、僕は学校内でGA(Graduate Assistant)という教授の補佐のような仕事をさせてもらっていたので、結果的に授業料が免除され、給与も支払われていました。一足早く社会人のような経験ができたのです。

もう1つ、経験してよかったと思うのは、外国人と英語でディベートを重ねてきたこと。それも、学生同士だからお互い本気で。

これはとても大きかったです。

ディベートではA派とB派に分かれて討論をして、ある程度意見が出尽くしたところで、「じゃあさっきA派とB派でメンバーを入れ替えて、討論してみて」となるので、自分がつい先ほどまで出していた意見に真っ向から対立しなくてはいけないのです。

このような体験から、物事を両面からあるいは多角的に見るスキルが身についたと思います。

John

それは、私もとても同感です。
学生同士なので、ディベートでも何でも、社会人同士の付き合いよりも本音でぶつかり合いますよね。

私も海外で学生時代を過ごしましたが、互いにぶつかり合ったり、一緒に遊んだりした中で身についた、価値観や文化のようなものは、あの頃じゃないと得られないものだと思います。それがビジネスの場面でも活かされていると感じる事も多いです。英語でも表面的なコミュニケーションで終わらずに、人対人としての付き合いが出来ます。

本藤

そうそう。英語力など表面的なスキルセットは後からでもある程度は身につけられるけど、学生時代だからこそできる経験や、身につくものってありますよね。

英語が話せるようになるにつれて、どんどん新しい友達も増えてくるし、より深い議論もできるようになります。

勉強以外でも、いろいろと他ではできない経験もできたなぁ。
留学初日から部屋に苔が生えていて、仕方なくクローゼットで寝たり、真夏に車中で何泊もしたりーー暑くて窓を開けると蚊が大量に入ってきたのを今でも覚えています(笑)。

John

すごい体験をされていますね。
そのお話は、また改めてじっくり聞かせてください(笑)。

インタビュー中の本藤氏の画像です

3 「『1週間で慣れて、1カ月で専門家以上になってね』と言われるのです」(本藤)

John

大学卒業後、日本に帰国されてからはAndersen Consulting (現:アクセンチュア)へご入社されたのですよね。なぜ、帰国し、コンサルティング会社への入社をご決断されたのか教えて頂けますか。

本藤

新卒は人生に一度しかありませんから、そのチャンスは活かそうと思いました。
それに、米国に戻ることはいつでもできると思ったのです。

コンサルティング会社を選んだ理由は、ITや製造など幅広い業界を見ることができる仕事だと思ったためです。

当時、コンサルタントという仕事は日本ではまだメジャーではありませんでした。しかし米国では、コンサルティング会社や投資銀行はMBAを取得した学生たちには人気の職種。
僕も、特に違和感なくコンサルティング会社を選んだという感じです。

John

確かに、米国ではそうですよね。留学したことによって、視野が広がっていたのですね。
当時のコンサルタントとしての仕事内容はどのようなものでしたか?

本藤

業界ごとにチームが分かれており、僕はファイナンス系のリスク管理を担当領域としていました。リスク管理は米国の方が事例も多くかなり進んでいたので、英語で文献を探せることが有利だったのです。

お客様は主に大手の銀行や商社などでした。
経営における課題を抽出し、その解決にあたる。解決にIT化が必要であれば、PMやプログラミングもする。そういう仕事でした。

当時のアンダーセンは「3年いると10年分のキャリアが積める」と言われるほど忙しかったです。
どんな仕事でも「1時間で終わらせるように」と上司に言われたら、必ず終わらせないといけない。

また、基本は同じ業界の担当ですが、突然、別業界の案件がふってくることもありました。そして、「1週間で慣れて、1カ月で専門家以上になってね」と言われるのです。

ある日突然、石油系の本を大量に渡されて、「要点をまとめておいて」なんて言われたこともありました。

まともにやっていたらとても終わらないので、要点となりそうな部分だけを抽出して、クライアントと渡り合えるだけの知識をつけるのです。

仕事がどんどんふってくるので、今ではありえないくらいほどの残業もしましたよ。大変でしたが、鍛え上げられた時期です。

John

とてもハードな環境だったのですね。そのようなご経験をされると、自分なりのビジネスの進め方も身につきますし、短期間で出来ると思える仕事量自体が増えますから、ビジネスマンとしての強みを伸ばすことにも繋がりますね。

孝さんにとっての「良いコンサルタント像」のようなものはありましたか?

本藤

“Think straight. Talk straight. Client first.”

アンダーセンの社内で、よく使われていた言葉です。
これを常に念頭におき、実践できる人が良いコンサルタントだと思っています。

「難しいことを難しく伝えるのが学者、難しいことを簡単に伝えるのがコンサルタントだ」というのも、上司からよく言われました。

難解な課題であっても論点を整理し、クライアントにシンプルに伝える。
そして常にクライアントのことを最優先に考え、ベストな提案をする。
「自社内のパワーバランスや、自社の利益のことは後回しでもいい」とはっきり言ってくれる会社でした。

また、「クライアントを最優先にする」というのは、クライアントの言いなりになるのではなく、クライアントの会社のためになることを徹底することだと学びました。

John

素晴らしい教えですね。「御社に、このような利益が出せます」ということを相手が納得する形で伝えられるかどうかは、人に何かを提案する上で非常に重要ですよね。本当に学ぶことが多い職場だったのですね。

コンサルティング会社をやめてVCへ転職しようと思われたのは何故ですか?

本藤

コンサルタントの仕事に限界を感じたからです。
具体的に言うと、コンサルタントは、ディシジョンメイキング(意思決定)ができないということに、もどかしさを感じた。

例えば、僕がコンサルタントとして、企業にこんな提案をしたとします。

「A案はリスクもありますが、成功すると大きな利益を産みます。
B案は、失敗する可能性は低いですが、成功した場合の利益も小さいです。どちらにしますか?」

このような2択の場合、ほとんどのクライアントはB案を選択するのです。

進んでリスクを取れというわけではないけど、A案こそが本当にクライアントのためになると思って提案しても、それを採用するかどうかの意思決定をするのは、クライアントなのです。

そのことに気づいたのは、20代後半くらいの頃でした。
「次はディシジョンメイキングができる仕事をしよう」という想いから、エクイティに興味を持つようになっていきました。

John

コンサルタントという立場では叶えられないものを求めて、VCの世界へと進まれたのですね。

4 「投資する時は、『この案件はうまくいく』と心から信じていますので、不安はないですね」(本藤)

John

数あるVCの中でも、NIFベンチャーズ(現:大和企業投資)を選ばれた理由を教えて頂けますか。

本藤

NIFベンチャーズへ入社したのは、2000年のこと。ヘッドハント会社からの紹介でした。

「NIFベンチャーズがロンドンで新たな支店開設を予定している。そこに赴任して欲しい」とオファーがあり、海外で仕事ができるという点に惹かれて受けることにしたのです。

しかし入社して間もなく、ITバブル、いわゆる「ドットコムバブル」がはじけてしまいました。

結局、ロンドン支店開設の話は立ち消えに。出張ベースで海外と日本を行き来する日々が始まりました。

John

それは残念でしたね!
何カ国くらいを担当されていたのですか?

本藤

イギリス・ドイツ・ベルギー・フランス・オランダ・イスラエルなどさまざまでした。2週間ヨーロッパ、2週間日本……といった形で往復していましたね。

当時はベンチャー企業の黎明期。
2016年に孫正義氏が3.3兆円かけて買収した半導体企業・ARMが生まれたのもこの時期です。

イギリス政府もベンチャー企業の成長に期待し、スリーアイというVCを持っていました。

2000年代前半にはケンブリッジ大学が学内発ベンチャーを推奨しはじめ、アントレプレナーシップセミナーが開催されたり、政府もそれを支援するようになりました。

僕たちNIFベンチャーズは、そうした「イギリス政府×大学」のプロジェクトにも関わっていたのですよ。

John

日本のVCが、イギリス政府や大学が関わる大型プロジェクトに参画できたというのがすごいことですよね。秘訣は何だったのですか?

本藤

僕たちの1番の強みは、日本国内のコンシューマーエレクトロニクス(家電)とのネットワークでした。まだ追随する中国や台湾、アジアのメーカーが少なかった頃で。

大学側も、もちろん日本の大手企業からの援助は欲しいですからね。
「良い技術があれば、日本の大手企業とマッチングしますよ」という強みをアピールしました。

もちろん、信頼できる投資先を紹介してくれる、現地のVCネットワークの強化も非常に重要です。

ネットワークを構築するために、まずは現地へ赴いてファンドへ出資し、ディールフロー、つまり良い投資機会を得られる販路を確立していくのです。

また、ディールによっては複数のVCが投資するので、そこでもネットワークができます。

業界の特性上、横のつながりというのも非常に強いのです。
だんだんと「タカシのVCは日本の家電メーカーを紹介してくれるよ」など仲間内での評判も広がり、知り合いも増えていきました。
日本のVCは少なかったので、目立ちやすかったというのもあるかもしれませんね。

現地で信頼できるネットワークやパートナーを築くことは、ある意味、良い投資先を見つけることよりも重要なのです。

John

なるほど。すべては良いVCネットワークを確立することからはじまるのですね。
投資先としては、どのような業種の企業が多かったのですか?

本藤

さまざまな企業がありましたが、特に多かったのは技術系の企業ですね。

日本におけるSuicaのような非接触ICの技術を持つフランスの会社にも投資しました。ISO14443のTypeA/TypeBどちらにも適応する技術でした。
この企業には日本の大手印刷会社などを紹介するなど経営支援も行い、見事上場を果たしてくれました。

John

投資するにあたり、大きな金額が動きますが、ご不安を感じた経験はありませんでしたか?
また、投資先の企業が伸び悩んでいる時などはどのような働きかけをされているのでしょうか?

本藤

投資する時は、「この案件はうまくいく」と心から信じていますので、不安はないですね。

それでもすべての案件がうまくいくわけではないですし、投資先企業を見守る中で、状況が変わったりすることもあります。

しかしそうした時も、ネガティブな感情からではなく「会社をよくするために、彼らに何かしてあげられることはないか」という気持ちになりますね。

自分たちはいつでも現地へ飛んでいけるわけではないので、投資先企業で何かトラブルがあれば、すぐに現地のパートナーに状況を確認しに行ってもらえるように準備もしていました。

John

横のつながりが非常に重要な世界ですね。
30代前半で、日本を背負い、リターンを考えながら海外スタートアップ投資を行って来られた孝さんだからこそ、今の日本に必要なのは、東京一極集中ではなく、地方の大学発スタートアップ増加による地方創生の実現であるというビジョンを描かれているのでしょうね。

インタビュー中の森若氏の画像です

5 「午前中はVC業務、午後はCTOの仕事という日々でした」(本藤)

John

その後、NIFベンチャーズを退社され、フィンテックグローバルキャピタル(以下、FGC)という会社を設立されたのですよね。どのような背景があったのですか?

本藤

NIFベンチャーズの仕事はすごく楽しかったのですが、上場・合併などの紆余曲折を経て、銀行系のVCという位置付けになってしまったのです。米国のルールなども相まって、新規案件への投資が難しい状況になってしまいました。

同時期に、フィンテックグローバルという上場企業がVC子会社をつくりたく、出資もしてくれるという話が持ち上がり、共同代表という形で経営に参画しました。

John

ベンチャーキャピタルの立ち上げ方をお話してくださいますか?

本藤

まずは機関投資家を中心に、ファンド設立のための資金を集めに行きました。

「日本国内にありながら、グローバルにジャンル問わず投資できるファンドで、今後このような戦略で進めます」というのをプレゼンし、僕を含めたメンバーの実績を各所で地道に説明していくのです。

最終的にはもともと付き合いのあったヨーロッパの政府系投資会社や大手化学品メーカーなど、いろいろな企業が出資をしてくれました。

FGCでは経営メンバーという立場でしたので、NIF 時代とは違い、初めて経験するようなことが他にも多々ありましたよ。
中でも「2度とやりたくない」と思うのは、投資先企業でCTO代理を務めたことです(笑)。

John

VCの経営と企業のCTOを兼任! 両立はさぞ大変だったでしょうね。

本藤

午前中はVC業務、午後はCTOの仕事という日々でした。

その会社は、Web上でブログの検索システムを作っている会社でした。最近は当たり前になっている、SNSのトレンドワードランキングなどを算出するシステムに近いかな。

CEOは僕のファーストキャリアがアンダーセンのコンサルタントだったことを知っていたので「本藤さん、PMできますよね?」とお願いされて……。

VC業務は忙しいのでどんどん朝早くからスタートすることになるし、CTO業務は夜型のエンジニアたちとやりとりするので夜中まで仕事をすることも多々ありました。

1年間ほどその生活を続けましたが、あれは本当に大変でした(笑)

John

それほど、投資先企業に真摯に対応されているのですね。すばらしいです。
ご経歴を伺って、孝さんの仕事に取り組む姿勢、考え方などが非常によくわかりました! 愛りがとうございます!


  • 本藤氏との対談はまだまだ続きます!「後編」では、QBキャピタル設立の背景や地方創生への想い、投資家目線での伸びるスタートアップ企業を見極めるポイントについて語っていただきました。
    この続きは「後編」(近日公開予定)をご確認ください!

以上

※上記内容は、本文中に特別な断りがない限り、2020年7月29日時点のものであり、将来変更される可能性があります。

※上記内容は、株式会社日本情報マートまたは執筆者が作成したものであり、りそな銀行の見解を示しているものではございません。上記内容に関するお問い合わせなどは、お手数ですが下記の電子メールアドレスあてにご連絡をお願いいたします。

【電子メールでのお問い合わせ先】 inquiry01@jim.jp

(株式会社日本情報マートが、皆様からのお問い合わせを承ります。なお、株式会社日本情報マートの会社概要は、ウェブサイト http://www.jim.jp/company/をご覧ください)

ご回答は平日午前10:00~18:00とさせていただいておりますので、ご了承ください。

●本藤孝(ほんどう たかし)
現アクセンチュアにて、コンサルティングに従事し、数々のプロジェクトに携わる。その後、現大和企業投資でイスラエル及びヨーロッパへのスタートアップ投資を行う事業部の立ち上げメンバーとして参画。フランスのVCへの出向などを含め、数々のスタートアップ投資を実施。VCのFGCを創設し、55百万ドル(約65億円)のファンドを組成。同社の代表パートナーに就任し、国内外への投資を実行し、投資先の取締役を歴任。また、主に九州の大学関連の案件、及び九州出身者など九州に関連した案件に投資を行うQB Capitalを創設し、同社の代表パートナーに就任し、約30億円のVCファンドを組成。20年以上にわたりベンチャー投資に携わっている。Eastern Michigan University卒 同大 MBA修了。

●森若幸次郎 / John Kojiro Moriwaka
イノベーションプロバイダー、ファミリービジネス二代目経営者、起業家、講演家、コラムニスト

山口県下関市生まれ。19歳から7年半単身オーストラリア在住後、家業の医療・福祉・介護イノベーションを目指す株式会社モリワカの専務取締役に就任。その後、ハーバードビジネススクールにてリーダーシップとイノベーションを学ぶ。約6年間シリコンバレーと日本を行き来し、株式会社シリコンバレーベンチャーズを創業。近年はNextシリコンバレー(イスラエル、インド、フランスなど)のエコシステムのキープレーヤーとのパートナーシップと英語での高い交渉力を活かし、スタートアップ支援やマッチングを行う。「日本各地でのイノベーション・エコシステムの構築方法」や「どのように海外スタートアップと協業しオープンイノベーションを起こすか」を大企業、銀行、大学などで講演、病院ではリーダーシップセミナーを行う。国内外アクセラレーター支援、スタートアップイベント運営、ピッチ指導(英語・日本語)等も行う。

株式会社シリコンバレーベンチャーズ代表取締役社長 (兼) CEO
株式会社モリワカ専務取締役(兼)CIO
情報経営イノベーション専門職大学 客員教授
Startup GRIND TOKYO コーチャプター ディレクター

著書「ハーバードのエリートは、なぜプレッシャーに強いのか?」

RECOMMENDATION

オススメの記事